こんにちは。男女双子のまるしゅけの母、ボウです。
やっとこさ、重い腰をあげて、出産当日のことを思い出しながら書いていきたいと思います。。。
正直とてもツラい思い出で、でも大事な大事な思い出でもあり、記録として残したい気持ちと書くのがしんどい気持ちと…
でも何より双子を出産したときの大切な記憶を忘れちゃいけないなと。
思い出すと胸がいっぱいになります。
出産当日の朝。
まさか今日出産することになるとはつゆ知らず。。。
寝苦しい夜が明け、トンがいつものように仕事に行く準備をしていたころ、お腹の張りの感覚がいつもより少し狭いことに気がつきました。そこまで痛みはなく、まだ陣痛ではないはずだけれど、時計で測ってみると5-6分間隔。「あれ、間隔狭くない….?」となり、病院に連絡すると、「切迫早産のこともあったし一応診ておきましょう」と言われ、急遽仕事を休むことにしてくれたトンと一緒に病院へタクシーで向かいました。
早速NST(ノンストレステスト)をやったところ看護師さんがバタバタと動き出し…
先生から軽い陣痛が始まってるから、本陣痛が来る前に産んだ方が良いとのことで、その日の午後に急遽帝王切開することになりました。この日は35週6日、臨月の36週にもギリギリ届かず、あとちょっと頑張りたかったな〜とか呑気に考えていたのも束の間、車椅子で病室に運ばれて手術の準備を看護師さんと進めました。帝王切開の予定日まであと1週間ほどあったので、今日会えることになるなんて、ドキドキワクワクと、まだ自分のお腹から双子が出てくるなんてちょっと信じられない・・・みたいな気持ちと、子育てへの漠然とした不安と、頭の中でぐるぐるしながらただ時間が過ぎるのを待っていました。そしてついに手術の時間に。車椅子で手術室へ連れて行ってもらい、マスクの確認や名前の確認などを行って入室。手術台に上がって麻酔を入れ始めた頃、体に異変を感じ始めたのです。
「息ができない」
妊娠後期以降、お腹の重みで仰向けで寝っ転がるのが苦しくて常に横向きで寝ていて、ただ手術のときは仰向けにならなくてはいけないので、息苦しいのはそのせいかな?と最初は思ったのですが、どうやら違うみたい・・・
息を吸っても浅くしか吸えなくて、痰が絡むような、溺れているような感覚。
苦しくて苦しくて必死に看護師さんに息ができないことを伝えました。ただ、出産する時はきっとみんな何かしら苦しい・・・そのためか先生たちもほかの妊婦さんと同じ状況だろう、と最初はあまり異変に気が付いてくれませんでした。でも、最初は「ゆっくり呼吸をしてね〜!」と声かけしてくれていた看護師さんたちも、いよいよ私の様子がおかしいことに気が付き、とはいえ手術も始まっていたので、とりあえず急いで双子をお腹から出すことに。そんな最中も意識も遠のきそうなほど、とにかく息ができなくて苦しい・・・
本当に本当に苦しすぎて、文ではなく、「息」「できない」の2単語しか話せませんでした。
そのとき1人目のまるがお腹からポンっと出てきて、オギャーと声を上げました。その直後、2人目のしゅけもオギャーと続きました。本当はとっても嬉しい瞬間、ほっと一息つく瞬間を味わうところだったと思います。でもそんな余裕は1ミリもなく、先生も「急いで縫うからね!!」と・・・
本当に浅くしか息が吸えなかったので、呼吸の回数が尋常じゃないほど多かったと思います。意識は少し遠かったけど、頭はしっかりしていて、先生たちの声は全て聞こえていたし、手術の最初の方は息ができないのを伝えているのにさほど手術室に焦りがなくて・・・
時間が経つのがとにかく長かったです。
そして帝王切開の手術は無事終了(出血も止まらず大変だったようでしたが、それどころではなかった)。急遽救急車で別の病院に運ばれることになりました。
救急車が来るまでの間、少しだけ赤ちゃんに触らせてもらいましたが、感動するなんてそんな余裕は全くなく、自分の苦しさに精いっぱい。
ちなみにトンは先生から「ボウ(私)の様子は一旦今夜にかけて見るから、今日はもう帰って良い」と言われたそうで、病院を出されていました(コロナ禍で面会が少し厳しく、結局立ち会えなかった)。しかしすぐに「やっぱり救急搬送するから転院先の病院へ向かってくれ」と電話がかかってきて、血の気が引いたそうです。
そして私は執刀医の先生と救急車に乗り、別の病院へ。ずっと目は閉じていましたが意識はあり、その間もずっと息は苦しく、早く転院先の病院に着くことばかり祈っていました。人生で初めて「私、このまま死ぬのかも」と本気で思いました。
ほどなくして受け入れ先の病院に到着。薄目を開けたら救急の先生たちがたくさんいて、レントゲンを撮ったり、CTを撮ったり(?)、いろいろな検査をしていて、「つらいけどがんばってねー!」などずっと声かけをしてくれました。つけられた酸素マスクが苦しくて、反射的に取ろうとしてしまって(無意識ではない、とっちゃいけないのは重々わかっている)何度も制止されたのを覚えています・・・
スピーディーにたくさんの検査をして、そこから一度意識が遠のきました。目が覚めたら病室でトンが先生から何か説明を受けていて、私を見て泣いていました。少し息は落ち着いていたと思うのですが、疲れ切っていたのでまたそこから記憶がない・・・
そして翌日、今度はちゃんと目が覚めて、先生から病状を知らされました。
「周産期心筋症」という妊娠・出産のタイミングで心不全を発症する病気で、私は肺水腫で呼吸困難に陥っていたとのことでした。
※周産期心筋症の詳細についてはこちらを是非見てください。
ショッキングすぎる、私が心不全・・・?という感じ。ただ、もうこの時は一旦症状が落ち着いていて、横になっている状態なら特別苦しくはなく、冷静に話を聞くことができました。かなりごっつい酸素マスクはしていましたが。
かなり中途半端ですが長くなってしまうので、
ここからの入院生活〜退院までは次回に書いていきたいと思います!
長々読んでいただきありがとうございました。
それではまた次回!頑張って書きます・・・!
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